広東の都市景色
広東・潮州(スワトウ市)都市景色(「有行教育網」より) Home
改革開放まで、スワトウ市(当時潮州全域を領有した)は広東の第三大都市であった。改革開放の時、
スワトウ市は中国四つ(広東三つ)の経済特区の一つに指定された。深セン市は指定された原因は香港
と隣接しているからだった、珠海市は指定されたのがマカオと隣接しているからだった。福建省のアモイ市が
指定されたのは言葉と文化が台湾と同じからだった。なぜどちらも隣接しないし、言葉や文化も特別(つまり
中国他地域と融合しにくい)潮州は経済特区に指定されただろう?それは海外の華僑には潮州人の勢力が
強くて、ビジネスマンの潮州勢が強かったからのである。華僑のマネーを呼び込むのは、潮州人の協力が
非常に重要であったからだ。経済特別区に指定された事や、潮僑(潮州華僑)からの投資プラス潮州人特有
なビジネスセンス(私はビジネスセンスが全くないけど)で、潮州地域の経済発展は著しかった。今でも、潮州
地域は広州や深センに遅れているが、経済力では広東では中上のほうである。
改革開放以来中国の経済発展シンボルは、深セン市であるともいえる。新聞記事から教科書まで、
深センの記事が溢れていた。25年前何もなかった人口3万人弱の農村から、今は人口が1000万を超える
現代大都市となった。深セン市の平均GDPは既に6000ドルを超えて、第二位の広州(5000ドル強)
と第三位の上海(5000ドル)をリードしている。ちなみに、2004年中国の人当たりGDPは1000ドルだった。
2000年に国連の機構が深センを「世界花園都市」のランキングに世界一位と評価された。当時世界に人口
500万人を超える都市には、「世界花園都市」と評価されたのが、深セン市は三番目だった。「世界花園都市」
になったのが、アジアの都市では深センが初だった。その美しい都市景色は今でも人々を陶酔させる。
深センの国際空港も2001年WHOによるアジア初の「国際衛生空港」となった。ちなみに、私はこの都市に
家があるので、ほとんどの活動範囲は深センを中心とする。
←80年代初期立てた深センのシンボル建築「地王ビル」中国の最高ビルだった。88階立て。
広州市は広東の首都である。広東の文化、経済、政治の中心である。人口は1000万を超える。
改革開放後、広州の発展は著しくて、一時中国経済をリードしていたが、その後都市の膨大化で
色んな問題を抱いて、環境汚染が酷かった。1998年当時の広東政府は新計画を発表し、広州
の都市改造が始まった。都市環境はよくなってきて、2001年に「世界花園都市」の三位にランキング
された。人当たりGDPは上海を越えて、深センの次で二番の座をとっている。日本の三大車「美人」
−−本田、トヨタ、日産が次々と広州へ進出した。毎年広州で開催される「中国対外貿易交易会」(広交会)
もあり、ビジネス界では広州の名が広い。
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